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プロフィール
■人生の始まり
宮崎県の片田舎に生まれる
地元の小中を出て、工業高校に行く
■第一の波
高校を卒業
働きたくなかったので、親を説得して大阪の料理師専門学校へ
バイトとディスコ通いで専門学校は出席率24%。
しかし、先生の好意で卒業。
神戸のフランスレストランに勤めるが待遇が悪く10日で逃げ出し、バイト先の友人の知合い宅へ居候を半年、その間は、バイトを転々として遂には追い出され真っ暗なアパートに半年。
そうこうしているうちに親に居場所を見つけられ、九州へ連れ戻される。(親からの逃亡生活終了)
■第二の波
地元に帰って魚屋を一年、その後問屋でトラックでの配送をしているときに、知り合った古本屋の社長から、一軒の古本屋の権利を買わないかとの話があり、「これだぁー」と親にお金を借りたいと言うと、親戚に一同から「極潰し」お前には無理だ!!!!
といわれる中、ゴリ押しをして田畑と家を担保にお金を借りて熊本で古本屋を始める。22歳の時
■第三の波
お客が思うように来ずに、悪いときには一日の売り上げが200円(;><)などと3年間貧乏生活が続く。
その後、徐々に売上げも上がって行ったのだが、今度はパチンコに狂い始め、
借金が膨らみ借金返済のため、店をアルバイトと彼女に任せ愛知県の工場へ出稼ぎへ。
普通はお金を貯めて帰ってくるのだが、酒とディスコ通いで-30万で九州帰る。

借金が減らないので、店は人に任せ、移動販売車に乗り行商、スナックのマスター、携帯電話の町工場に更に出稼ぎ、時間のある時に店に出るなどして、一日3つの仕事をかけ持ちして、生活をしのぐ。その他、兵庫県にダムと高速道路を造る出稼ぎなども。


そして徐々に生活も安定していったので、それまで店を手伝ってくれた彼女と結婚をしようと、彼女の親に結婚の申込みを行くと断られ、駆落ちを考えたが彼女に「祝ってもらって結婚したい」と言われ、振られてどん底に落ちる。
そして、その彼女に「一年後に会って考えようよ」と別れ、人生で一番暗い日々を暮らす。
彼女ともう一度やり直したいとの思いで、一年後に友だちの彼女に電話をしてもらうと、お母さんが出たらしく、衝撃の一言を聞くことに。「結婚式は来週、***でするのよ」とガ━━(;゚Д゚)━━ン!!
本当に悲しいときには涙も出ないとはこと事だと気づく。
■第四の波
しばらくたって、小さいときからやってみたかった、自転車での日本一周をしようと決意し、10日間で自転車、キャンプ道具をそろえて、店はバイトに任せ、出発する。
108日の期間をかけ、途中の北海道ではトウモロコシ工場でアルバイトなどし、そして、沢山の方の親切も受けて熊本に帰る。
■第五の波

ヒョンなきっかけで、ある団体の小学生キャンプを手伝うことになる。
子ども達と接することは嫌いではなかったので(古本屋にいる時は中高生のいろんな相談や話し相手)楽しく手伝えた。
この時に、こんな事がこれからもやって行きたいと考えるようになりもう少し、自分のスキルを上げたいと、またまた、店をバイトに任せ長野にある冒険教育を教える学校に60日間行く。
そして、ここで知り合った養護施設の職員の所の子ども達を長期の休みの時に、九州に呼んで野外活動を2年やことになる。

この頃から、店を増やしたいと考え、借金をし(8年ぐらい店を出して入る事で、信用があった)もう一軒それまでの3倍の広さの店舗を借りる。
しかし、店が大きいと支出も多く、徐々に返済に疲れてきた。
そんな中、パソコンがwindows3.1からwindows95に変わる年で友人がパソコンの会社で働いていたので、安くでパソコンを購入する。
そして、毎日がパソコン漬けである。
パソコン通信では、15万円の請求が・・・・

一年ぐらい経ったときに、パソコンの師匠にこんな質問をした。
「俺の今のパソコンの技術で働けますかね」師匠曰く「東京だったら、十分働けますよ」と・・・
毎月、支払いに追われていた自分には、パソコンの方がこれからは、稼げるかもしれない・・・


思い立ったら、行動に移さないと気が済まないタイプ(今は慎重派)の、私は養護施設(東京)の職員に連絡して、しばらく泊めてくれないだろうかと話をすると、OKとの事。
「よぉーーし。店をたたもう」と1ヶ月以内で、本の処分、お金の返済などをし、2店舗を閉める。約10年間
そして、東京へ
■第六の波
施設の園長先生の計らいもあり居候させていただきながら、派遣で**Mのヘルプセンターへ行く。
その間も、施設の子ども達の休みにキャンプなどをし過ごす。

一年後、なぜか施設で働くことに・・・


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そして、10年・・・
そして今、高卒というコンプレックスで、他の人には負けたくないと「心理」「カウンセリング」などを学んでいくうちに、
迷っている子ども達もいるが、悩んでいる大人、親も居る事に・・・・
■第七の波が・・・近づいている予感
人が希望を持てるような事ができないだろうか・・・
と思ったときに、今まで培ったカウンセリングをどこかで使えないか・・・

と考えていたときに、路上でのカウンセリングをしようと思い立つ。
どうやったら、ストリートでカウンセリングができないかとWEBを見ていたときに出会ったのが
ストリートでカウンセリングをやったことのある小林氏、いろんなアドバイスをもらう中で
ストリートでカウンセリングをやるには、人を引き付けるためのアイテムが必要だと言われる(小林氏も書道とアイテムとしていた)
その様子を見る機会があり一日中、書を書く姿を見て感化され、その後、書の練習を毎日数百枚の開始する。(ストリートカウンセリングは中止)
5000枚ぐらい辺りから、息子の友だちのお母さんより、書いて欲しいと依頼が来るようになる。
それに従い、デザイン書道のワークショップ等を受けながら練習を重ねる(日本デザイン書道作家協会員)
特に師匠は持たず、自分の納得のいく書を追求する毎日である。

人に希望と元気と勇気を与える書を書く事を目指して精進中!
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